58系気動車(一部65系含む) 最終確認時期:1997年2月

何か懐かしい画像(今と変わらぬ撮影のヘタさと合わせて)のお蔵出し。岡山から因美・津山線を駆け抜けた陰陽連絡のもう一つの顔が急行「砂丘」でした。

今でこそ、智頭急行を経由した「スーパーいなば」が幅を利かせていますが、岡山から乗って分水嶺を抜け、川の流れが逆向きになる様を見た時の感激と言ったら…。

山陰本線は、最近まで58系気動車が頑張っていました。末期になるにつれ、特急系統の整理と歩を合わせ、なぜか俊足を要求される快速運用にブチ込まれることが増えたようにも思えます。車輌のアコモデーションの性でしょうか。

今は新系列気動車が容赦なく入ってきますね…編成も短くなって…(泣)。

北陸にはこんな変わり種も。この車輌は引退済みでしたっけ…。同系統の塗色をした車輌はまだ数両残っているそうですが、それもまもなく終わりだとか。

58系気動車は、改造車を除くとJR移行後も生まれ通りの急行から普通まで様々使われました。急行として使われる線区では、ボックス席ながらなかなかバリエーション豊かな改造が行われていました。

画像は、能登方面への急行「能登路」に就いていた車輌の改造席。初期型フレームをベースとして、バケット風味の段差を座布団と背ズリに施し、ヘッドレストを大型のモノにしていましたが、いかんせん詰物が詰まりすぎてちょっと硬すぎる印象を持ちました。

広島地区の58系気動車のアコモデーション改良パターンです。このエリアは「ちどり・みよし・たいしゃく」とバリエーション豊かな急行群に加え、運用の関係で山陰本線にも出張っていたため、長時間運用急行「さんべ」にも充てられるなど、急行らしい使われ方が濃かったように思われます。

初期型のフレームながら、背ズリや座ブトンをかなりバケット調に手直しし、カマボコ手摺りに至っては、巻き布を付けているなど、やはり「格上車両」としての扱われ方をしていました。

別の日、急行「さんべ」…そして前後の普通列車運用まで計10時間を通し乗りした時の状態。手摺りの巻き布は無くなっており、車両の状況はかなりバラ付があると知らされました。

画像こそ撮っていませんがトイレの調子が悪かったなど、なかなかサバイバルな様相を呈した旅でもありました(苦笑)。それでも、下関に向けて進行方向右側を陣取り、延々眺める日本海が日々の忙しさを紛らわせてくれたのも事実です。

山陰方面の別バリエーション。1980〜2000年頃は、アコモデーション改良が華やかなりし頃で、特にエンスージアスティックなまでに、バケット化がもてはやされた傾向が見られました。

既存設備でも目に見える改良効果を客に印象づけるためか、この手の改造が多かったのですが、施工レベルにはかなりの違いというか格差があり、折角のバケット調も、客の体圧に耐えられずヨレヨレのヒヨヒヨになって、見るも無惨な座席となったものがありました。

広島地区の急行仕様座席のタイプ。後期形のフレームに奢られた詰物、ヘッドレスト部分のレース調ビニルカバーが、限られた座席設備の範囲で格上感を演出していました。

1997年2月、小浜線の始発列車から乗り継いだ東舞鶴からの列車で目撃したタイプ。

近郊形改造が施され、デッキ仕切りドアなどが一部撤去された車両でしたが、床面や壁面がバシッとリフレッシュされており、座席のフレームや表地も美しくなってました。

カーテンレールがリフレッシュされ、カーテン自体も旧態の重々しいモノから軽いサッシのタイプに取り替えられるなどされており、何か乗っていてちょっと「よく使われている感」がして、その爆走ぶりと合わせて妙に嬉しく乗れたのを覚えています。

そして、変わり種改造車のタイプ。急行「砂丘」や「丹後」向けに、新幹線0系からの発生品であるD23を設置した車両が居ました。背面テーブルが向かい合わせ時は使えないことに考慮し、壁面には別付けの小テーブルがあったのは気配りですね。

急行「砂丘」としての乗車時は、運悪く撮影が叶わなかったのですが、急行「だいせん」から乗り継いだ当時の福知山線始発列車がこれでして、無事撮影と相成った次第です。

そして急行「砂丘」と言えば、長らく特徴的だった半室グリーン車が知られていたと思います。その座席がこれ。165系電車のグリーン席と同様に、R26が設置されていました。

国鉄グリーン席のシンボルカラーとしての臙脂色ではなく、軽やかなグリーンの段織りモケットだったのが印象的です。

車両選択に戻る>>
座席データ座席クラス掛人数座席形式シートピッチ
普通2D23(急行砂丘・丹後用)940mm
グリーン2R26(急行砂丘)1160mm